2012-01-13

アンチ・クリマクスさんことセーレン・キルケゴールさんの『にいたるやまい』の最初さいしょのほうの翻訳ほんやく
人間にんげんとはたましいである。しかしたましいとはなにか。たましいとは自分じぶんである。しかし自分じぶんとはなにか。自分じぶんとは、それ自体じたいにかかわる「関係かんけい」である。自分じぶんとは、「関係かんけい」そのものではなくて、「関係かんけい自体じたいに「関係かんけい」がかかわることである。人間にんげんとは、無限むげんさと有限ゆうげんさ、時間的じかんてきなものと永遠えいえんなもの、自由じゆうささと必然ひつぜんさという矛盾むじゅんするもののあわさったものである。矛盾むじゅんするもののあわさったものであるということは、ふたつのものの関係かんけいであるということである。これだけでは、人間にんげん自分じぶんではまだない。

ふたつのものの関係かんけいは、その関係かんけい自体じたい第三者だいさんしゃであり、消極的しょうきょくてきなまとまりである。ふたつのものは関係かんけいにもかかわってはいる。関係かんけいにあることで、関係かんけいにもかかわっている。このように、精神せいしんという規定きていをもちだすなら、精神せいしん肉体にくたい関係かんけいはひとつの関係かんけいである。しかし、その関係かんけい関係かんけい自体じたいにかかわるなら、この関係かんけい第三者だいさんしゃではありながら積極的せっきょくてきである。それが自分じぶんである。

そのような、それ自体じたいにかかわる関係かんけい、つまり自分じぶんは、自分じぶん自分じぶんさだめたのであるか、ほかのことによってさだめられたのであるか、どちらかである。

それ自体じたいにかかわる関係かんけいほかのことによってさだめられているのであれば、その関係かんけい第三者だいさんしゃではあるが、しかしその第三者だいさんしゃであるこの関係かんけいは、関係かんけい全体ぜんたいさだめたものにかかわる関係かんけいでもある。
http://sks.dk/SD/txt.xmlより。デンマークからの翻訳ほんやく。)

いきなり「関係かんけい」というからむずかしくなる。最初さいしょのほうでかぎカッコでくくった「関係かんけい」を「なにか」あるいは「わたし」でえるだけでわかりやすい。

また、ロジバンてきかんがえてみる。

いち(~が)」「(~に)」「さん(~という関係かんけいで)」かかわるとかんがえる。 
「かかわるもの(いち)」 「かかわられるもの()」 「関係かんけいさん)」 とする。

わたし」は相矛盾あいむじゅんするものでっているから、それらの「関係かんけい」(「さん」)であるとえる。

関係かんけい」がそれ自体じたいにかかわるとはつまり、「わたし」が「わたし」にかかわるということをっているのですね。

そして「かかわる」かぎりは、「かかわるもの(いち)」は「かかわられるもの()」ではないから、「いち」と「」はおなじものであっても、「かかわる」なかではおなじではない。「自分じぶん」という表現ひょうげんそのものに他者たしゃ自分じぶんでないもの)にかかわる余地よちがあるということにわたし賛成さんせいする。

だからこそ他人たにんからまなべるのだ。

桝田ますだ啓三郎けいさぶろうさんの翻訳ほんやく
人間は精神である。しかし、精神とは何であるか?精神とは自己である。しかし、自己とは何であるか?自己とは、ひとつの関係、その関係それ自身に関係する関係である。あるいは、その関係において、その関係がそれ自身に関係するということ、そのことである。自己とは関係そのものではなくして、関係がそれ自身に関係するということなのである(1)。人間は無限性と有限性との、時間的なものと永遠なものとの、自由と必然との総合、

[引用者いんようしゃちゅう以下いかは435ページのやくちゅう。]
(1)ひとつの関係が生ずるためには、少なくともふたつの関係項がなければならない(すぐつづいてあげられている「有限性と無限性」「時間的なものと永遠なもの」などがそれである)。相矛盾するふたつの関係項それぞれの占める比重の異なりに応じて、成り立つ関係が違ってきて、当然、両者の均衡のとれている場合と不均衡ないろいろな場合とができてくる。関係はこういうふたつの可能性をもっているのであって、そこからふたつの自己のあり方、つまり、「絶望してそうありたいと思う自己」(非本来的な自己)と「絶望してそうありたくないと思う自己」(本来的な自己)とが生ずるのである。しかし、この関係は固定したものでなく、動的なものであり、かつ、どこまでも主体的なもので、人間の「態度」ないし「行為」である。つまり「関係」とか「関係する」とかといわれているのは、実は「人間の全人格的な行動ないし態度」のことであって、だから「関係がそれ自身に関係する」ということは、「自己反省」「自己意識」であり、「内面的な行為」なのである。言いかえると、それは人間の「意志」にかかわることであり、均衡のとれた関係にある自己本然の状態を選びとろうと決意することである。簡単にいえば、それは「真の自己になる」ことで、それが、ここで一見はなはだ奇異な命題で表現されているのは、人間が、ふたつの関係項から成り立つ関係として、均衡を失する場合、さまざまな形の絶望の状態におちいるからであって、そこから「絶望」という現象の諸形態の分析がおこなわれるからなのである。


要するに、ひとつの総合である。総合というのは、ふたつのもののあいだの関係である。このように考えたのでは、人間はまだ自己ではない(1)。

ふたつのもののあいだの関係にあっては、その関係自身は消極的統一(2)としての第三者である。そしてそれらふたつのものは、その関係に関係するのであり、その関係においてその関係に関係するのである。このようにして、精神活動(3)という規定のもとでは、心と肉体とのあいだの関係は、ひとつの単なる関係でしかない。これに反して、その関係がそれ自身に関係する場合には、この関係は積極的な第三者(4)であって、これが自己なのである。

それ自身に関係するそのような関係、すなわち自己は、自分で自己自身を措定したのであるか、それともある他者(5)によって措定されてあるのであるか、そのいずれかでなければならない。

それ自身に関係する関係が他者によって措定されたのである場合には、その関係はもちろん第三者ではあるが、しかしこの関係、すなわち第三者は、やはりまたひとつの関係であって、その関係全体を措定したものに関係している。

[引用者いんようしゃちゅう以下いかは437ページのやくちゅう。]
(1)ふたつの関係項を統一すべき第三者がまだ考えられておらず、したがって、その総合がどうして生ずるかについて述べられていないからである。
(2)ふたつの関係項が第一義的である場合、両者の関係は外的でしかなく、この意味で両者の統一は消極的でしかないという意味。
(3)人間を、心と身との相互作用としての精神活動と規定して考えてみた場合という意味。
(4)この場合の第三者は、ふたつの関係項の肯定の上に主張される精神であるとともに、これを措定したもの(神)に関係していて、措定された、すなわち積極的な関係であるからである。
(5)神のこと。

桝田ますだ啓三郎けいざぶろうやく。「死にいたる病」。桝田ますだ啓三郎けいざぶろう責任せきにん編集へんしゅう。『中公バックス世界の名著51 キルケゴール』中央ちゅうおう公論社こうろんしゃ一九七九年せんきゅうひゃくななじゅうきゅうねん。435-37ページ。)

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